人工知能から考える競技としてのeスポーツの魅力

前回、人工知能とeスポーツの関係性について考察しました。

 

2019年8月2日、中国テンセントが開発運営する、億単位のプレイヤー人口を抱えるeスポーツタイトル「アリーナ・オブ・ヴァロア」で、やはりテンセントが開発した人工知能「ウーコンAI」がプロチームを破ったというニュースが入ってきました。ちなみにウーコンというのは漢字で書けば「悟空」、つまり孫悟空のことです。

 

前回紹介したDota2の例に続き、きわめて高度な戦略思考が要求されるMOBA(マルチプレイヤー・オンライン・バトルアリーナ、リアルタイムストラテジーの派生ジャンルで、複数人から成るチームで協力しながら敵の本拠地を破壊するゲーム)のタイトルで人工知能が人間を破る例がまた増えたことになります。

 

さて、このような状況を目の当たりにして「将来的には、eスポーツは人工知能同士の戦いになる」という意見が見られるようになりました。本当にそうなるでしょうか。

 

 

確かに、現在の人間同士の試合よりも高レベルな試合が実現するという点では、人工知能同士の戦いの価値は大きいように思います。しかし、すでに人工知能が人間を凌駕してしばらく経った競技においても、「人間同士の戦い」の価値が損なわれている様子は今のところ見られません。

 

囲碁や将棋においても、人工知能の台頭で「プロ棋士」の存在意義を危ぶむ声が聞かれましたが、トップ棋士が人工知能に破れてしばらくたった現在でも囲碁界・将棋界はちゃんとまわっているようです。(アマチュアへの指導がメインの棋士については別かもしれません。) 将棋より15年ほど前に人工知能が人間を制したゲーム、チェスの世界でも、「人間のための」世界ランキングは昔と変わらずファンの注目を浴びています。

 

さらにeスポーツには別の観点からもそういう心配はないといえます。そもそもeスポーツで扱うゲームは、コンピューター上でしか動かないものであり、どちらかといえばコンピューターの土俵で人間が戦っていると(感覚的には)とらえられます。コンピューターに1万分の1秒の反射神経を発揮されたり、1の位まで完璧に正確なダメージ計算を披露されたりしても、喜ぶファンはいないでしょう。人間にはおよそ不可能に近いことに挑戦しながら、人間同士で争うからこそおもしろい勝負になり、ドラマが生まれるのです。

 

また、eスポーツのゲームでは対戦相手と情報を共有せず、相手の裏をかいたり、相手の虚を突いたりするプレイが求められますが、「コンピューターとコンピューターゲームをやる」となると、人間側は「実はこいつに全部筒抜けなんじゃないか」という疑心暗鬼に陥ることが容易に想像されます。人間同士の勝負であれば、お互いの画面を録画しておいて、「見えていた情報」をすべてオープンにすれば不正していないことの完全な証明になります。しかし、コンピューターが「見えないはずの情報は見ていない」ことを誰にでも直感的に納得させるのは難しいでしょう。もちろん、プログラムの設計者は完全にフェアな環境でのプレイとなるようにしているでしょう。それでも、「興行」という観点からすれば、本当にフェアな試合なのかという点でプレイヤーと観客を心から納得させるのは大変そうです。

 

純粋に「高レベル」な試合だけを観客が求めるということなら、人工知能同士の戦いは確かにそれを実現しますし、一定の価値は持つでしょう。しかし観客が「興行としてのゲーム」に求めているのがそういうものなのかといえば、そうではないように思います。機械に勝てないゲームだろうと生身の「人間同士」の勝負には捨てがたい魅力があるのではないでしょうか。