今回からシリーズ「日本eスポーツの “原点-最先端”」の連載を開始します。
“eスポーツ” という呼び方は、日本ではつい最近身近になったものです。しかし、ゲームを競技としてとらえ、コミュニティで腕を磨きあい、高みを目指す文化はむしろ日本が世界に先駆けて発展させたものだといえるのではないか――。そしてその土壌に、「eスポーツブーム」がやってきた今、日本のeスポーツの発展性は計り知れないのではないか――。
その “仮説” を検証するため、日本のゲームコミュニティの “原点” と “最先端” をつなぐためのキーパーソンに続々登場していただきます。
初回となる今回は、競技としての長い歴史を持ち、今年は「いきいき茨城ゆめ国体」の文化プログラムである「全国都道府県対抗eスポーツ選手権 2019 IBARAKI」の種目にもなった「ぷよぷよ」のプロデューサーである、セガゲームスの細山田水紀様にお話を伺います。若い頃はファンとして、2000年代以降はシリーズ総合プロデューサーとして「ぷよぷよ」に関わり、昨年10月にはタイトルに「eスポーツ」を冠した「ぷよぷよeスポーツ」(公式サイト)をリリースされた細山田様に、その歴史と今後のビジョンを多方面にわたって語っていただきました。
――本日はよろしくお願いします。まずは、細山田様の自己紹介も兼ねて、ご自身が若い頃の「ぷよぷよ」との出会いや、当時の思い出について教えてください。
細山田:「ぷよぷよeスポーツ」プロデューサーの細山田です。若い頃でいうと、強く印象に残っているのは、1993年から1994年に移り変わる高校1年生だったお正月に、「ぷよぷよ」のキャラクターの一人、アルルが描かれている年賀状をクラスメイトからもらったことです。その友達が自分で描いた絵で、今でも実家に保存してあるんですが、年賀状という友達への「あいさつ」に普通に登場するくらいに「ぷよぷよ」が流行っていました。
あとは、自分の弟がある日いきなり、セガサターン版「ぷよぷよSUN」を買ってきて、対戦に熱中したことを覚えています。周りの人がいろんな形で自然に「ぷよぷよ」に何かしら興味を抱いていた感じです。
――「ぷよぷよ」が非常に盛り上がった時代ですが、「ぷよぷよ」の競技大会も身近なものだったのでしょうか。
細山田:有明コロシアムや幕張メッセでやってた「ぷよマスターズ大会」の存在は、ゲーム雑誌などで知っていました。でも最初の盛り上がり当時の自分は鹿児島の高校生で、それに参加するイメージはまったくわきませんでした。それどころか、もっと小さい子供の頃の大スター高橋名人のキャラバンが鹿児島市内にやってきたときでさえ、家から車で1時間半かけて連れて行ってもらうためには親に説得しなきゃいけないという環境でしたからね。当時、初期のころ大会をやっていたのは東京に限られていて、その後いくつかの地方でも展開していましたが、今運営の立場になって思うのは、各地で大会を開くというのは本当に大変なことで、それでもそれをやって、参加者がいっぱいいたっていうのはやはりものすごい勢いがあったのだと思います。
――当時は今のようなSNSも動画配信プラットフォームもない中で、大会の告知や、実際の大会の模様はどのように伝わっていったのでしょうか。
細山田:告知という面では「大会がある」という情報をちゃんとつかめるかというのが一つポイントでしたね。「ファミマガ」こと「ファミリーコンピューターMagazine」、「ファミコン通信」などのゲーム誌や週刊少年ジャンプや月刊コロコロコミックなどにちょっと情報が載るくらいだったりしました。大会の模様そのものは雑誌など以外に伝える手段がなかったのですが、イベントに参加した人がつながったり、ホームとなる各地のゲームセンターが拠点になって、プレイヤー同士が切磋琢磨して強くなって、もっと強い相手と戦うためにはどうすればいいかとなったときに、じゃあ大会に出たらどうかというような流れがあったと思います。
それは同時期に流行った対戦型の格闘ゲームの影響が大きいですね。当初の「ぷよぷよ」は一人でこつこつと積み上げるゲームだったのが、そこに「対戦」という概念が持ち込まれたのは、格ゲーの影響が大きかったと思います。パズルゲームブームがあって、格ゲーブームがあって、両者が融合するような形で対戦型アクションパズルゲーム「ぷよぷよ」が誕生した。対戦する場所はまずアーケードです。
今でも名古屋は「ぷよぷよ」が強い地域ですが、当時才能あるプレイヤーがそこに何人もいたからというのが大きいですね。そんな感じで各地のゲームセンターで盛り上がっていたのですが、企業主体でゲームセンターで大会を開くとなると、一定時間場所を占有して売り上げに影響すると思いますし、風営法なども考えなければならず……。なので、ユーザーとお店の方の交渉やお店の方のご厚意によるコミュニティやユーザーが自主的にやる試合や対戦会が中心になる。今eスポーツと言われ始めてそのあたりの議論も深まりつつあるとは思いますが、ぷよぷよについては昔からぷよらーと呼ばれるプレイヤーの皆さんの情熱や蓄積された歴史がもともとありますし、28年前から遊ばれているという、この時代の経験というのは大きかったと思いますよ。
――当時は「eスポーツ」という言葉はありませんでしたが、参加者には自分のやっていることが「スポーツ」か、それに近い何かだという認識はあったのでしょうか?
細山田:「スポーツ」だとはまったく思っていないと思います。日本ではどうしても「体を動かす」ことを主とするという意味にとらえがちなので。ただ、反射神経や思考能力などマインドスポーツと言えると思いますし、一般的なスポーツよりもはるかに時間をかける練習量で、当時から切磋琢磨して向上するという意識はものすごかったですよ。50本先取や100本先取、つまり連続対戦して先に50回、100回勝利した方の勝ちとかやっている人たちがたくさんいました。実際に当時の社員さんなどから伝え聞いている話ですが、第1回ぷよマスターズは有明コロシアムで行われましたが、今はある「ゆりかもめ」「りんかい線」などはなく、東京駅からのシャトルバスでの移動で、大会も当初見込みが3000人だったところ、1万人ほどが来場して大変混乱してしまったそうです。後日お詫びがあったそうです。また、イベントの終了時間が分からずに終電を逃す人もいたとも聞いています。
昨年プロライセンスを獲得したプロの中には、当時の大会に当時中学生として出ていた選手もいます。そういったところで当時の熱気とか伝説とかが今に引き継がれていますね。
――それでは、ここから現在と未来のことをお聞きしたいと思います。「ぷよぷよeスポーツ」ですが、これはどのような点で「eスポーツとしてのぷよぷよ」を後押しするつくりになっているでしょうか。
細山田:一言で言えば、動画配信や大会開催に関する「ルールの明確化」ですね。例えば、ぷよぷよは数作前からプレイ動画規約を作って、「ストーリーモードなどのネタバレなどを配信されるのは困るけど、対戦動画などはどんどんアップロード出してほしい」と明確に打ち出しています。
また、大会の開催も、ぷよぷよをビジネスとして使用し、多大な収益をこっそり上げますいうような話になると無条件でOKにはなりませんが、そうでない個人が主催する大会やコミュニティの大会などは現状はぷよぷよコミュニティサイト「ぷよぷよキャンプ」に登録する形をお願いしていますが、自由にやってもらってOKです。みんなでぷよぷよの対戦会をやろうという点はむしろ歓迎すべき状況ですし、自由に使ってくださいという形ですね。「ぷよぷよキャンプ」は、管理するという目的よりも大会やコミュニティの情報などを1か所に集めたいという目的の方が強く、まだまだ発展途上ではありますが網羅できるようにしていければと思っています。
――高機能なオンラインでの対戦がソフトとしての目玉かと思いますが、こちらの状況はいかがでしょうか。
細山田:プロがオンライン対戦をしたり配信をしたりすることができるという環境が整っていますし、本気で上達を目指す方のうまいプレイヤーのプレイを見る場としては非常に良い環境だと思います。ただ、対戦者同士のマッチングでは苦労しているところもあります。過去作でも同様に、「ぷよぷよeスポーツ」でも対応プラットフォームを拡げていくことを考えています。1機種だけにまとめてしまえば、そこに人が集中するのでよさそうに見えるのですが、1機種だけにするとプレイヤーの母数がどんどん減っていったり、どんどんIPに関連する展開が縮小していってしまったという過去の経験がありました。本当はクロスプラットフォームにして、あらゆるユーザーとマッチングするというふうにしたいのですが厳しいですね。技術的には可能なのですが、そんなにたくさん実現できていないゲームタイトルを見ればお分かりになる通り、現状ではやはりまだ難しいとしか言えないです。また、現状のパッケージ販売の売り切りスタイルだけでは、継続した運営コストを支えることができないということも過去に経験しました。
そして、プラットフォーム別になっているからというわけではないですが、特に初中級者の方が自分と同レベルのプレイヤーとマッチングするというのが難しいと感じています。開発としてはがんばって調整していますし、さまざまな手段で人を集めて裾野を広げていますが、正直に言えば、初中級者の方がそのレベルに応じたライバルを探すのを完ぺきにこなすのは難しいというのが本音です。
そこで初中級者の方にライバルを見つけてもらうためにお勧めなのは、上記の「ぷよぷよキャンプ」などのコミュニティや、もっと身近なところにあるコミュニティを活用して自分と近いレベルのプレイヤーを見つけてもらうことです。あるいは、もっと手軽かもしれないのは、動画配信している人の中から近いレベルの人を見つけたり、さらに自分で配信して人に見てもらったり、教えてもらったりする。こういうことも今はかなり気軽にできます。
あとは、裾野を広げるという意味では第74回国民体育大会「いきいき茨城ゆめ国体」の文化プログラム「全国都道府県対抗eスポーツ選手権 2019 IBARAKI」にはかなり力を入れています。「全国都道府県対抗eスポーツ選手権 2019 IBARAKI」の「ぷよぷよ」では小学生の部もあります。昔から、「ぷよぷよ」には小学生にもとんでもなく強い子が何人かいると思っているのですが、いかんせん彼らは「移動手段」「参加するための壁」という点で非常に大きな制約があり、大会に出たくても出られないことが多い。でも国体の文化プログラムであるこの選手権だと、子供が「出たいから連れてってよ」って言ってるのに、親が「だめ」とは言いにくいかなと思います。(笑)
――昨年から登場したプロライセンスを持つ「ぷよぷよ」のプロたちですが、プロプレイヤーの活躍の場についてどのようなビジョンをお持ちですか?
細山田:我々としてどうしてほしいというよりは、プロはもちろん、ぷよぷよの大会などに参加するすべての人に楽しんでもらうのが第一だったりします。ゲームというのは遊びで、楽しむもの。「楽しくやっている」ということについて、憧れられる存在であってほしい。
そして「ぷよぷよ」は、歴史あるタイトルだからこそ、選手それぞれが「ぷよぷよ」にまつわるさまざまな物語を個人それぞれもっていると思います。ベテランにしてトッププレイヤーのくまちょむとKamestryの両選手は学生時代からの友人同士で、20年以上ずっと同じ土俵で戦ってお互い切磋琢磨しています。『ぷよぷよテトリス』を店頭で見つけてたまたま買ったプレイヤーが神レベルのプレイヤーに育ったプロ選手やプロ選手を倒してプロになる選手など、他にもまだ誰も知らないプロ選手個人個人のストーリーがあると思います。そういった物語も含めて憧れられてほしいですね。
「eスポーツ」という名目ができて、やはり企業の方がスポンサーとしてついてくれたり、行政もeスポーツ大会を積極的に開催したり後押ししたりしてくれるというのは、選手が「楽しむ」という観点から非常にありがたいです。
――最後に、eスポーツとしての「ぷよぷよ」の今後10年、20年のビジョンについてお聞かせください。
細山田:20年後という点でいうと、一番悲しいのは20年後に「ぷよぷよ」がなくなっていることですね(笑) これまでも浮き沈みがあったと思いますし、実際にあったのですが、ファンの皆さんの応援、関係者のがんばりで乗り越えてきたと思っています。
「ぷよぷよ」は切磋琢磨しながら腕を磨く、洗練されたアクションパズルゲームで、この部分は今後も変わらずに続いていくと思いますが、これが「eスポーツ」と出会えたことは大きかったですね。国民の90%以上が知っているIPであるという調査もありますので、それも活かして「ぷよぷよ」自体もeスポーツも総合的にみんなで盛り上げていきたいと思っています。それこそ90年代のブームの時のような熱気ある大会が今後も日本はもちろん全世界で継続して開かれるといいなと思っています。
――ありがとうございました。
「ぷよぷよeスポーツ」公式サイト
http://puyo.sega.jp/PuyoPuyo_eSports/
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掲載日:2019年4月18日