
システムのクラウド移行が進み、マイクロサービス化が加速する現代。複雑化したシステムで「何が起きているのか」を把握することが、これまで以上に難しくなっています。そこで注目されているのが「オブザーバビリティ」という考え方です。
これは従来の「監視」の概念をさらに発展させたもので、システムで何が起きているのかを深く理解するためのアプローチと言えます。ここでは、オブザーバビリティの基本的な概念から、従来のモニタリングとの違い、その重要性やメリット、そして実現方法まで、知っておくべきポイントを解説します。
オブザーバビリティ(Observability)は、「Observe(観察する)」と「Ability(能力)」を組み合わせた造語です。日本語では「可観測性」と訳されます。
ITにおけるオブザーバビリティとは、システムの内部状態を、そのシステムが外部に出力するデータ(ログ、メトリクス、トレースなど)から、どれだけ深く理解できるかという能力や仕組みそのものを指します。
これは単にシステムの状態を可視化するだけでなく、パフォーマンスの低下や障害といった問題が発生した際に「どこで」「なぜ」それが起きているのか、根本原因を迅速に特定し、解決に導くことまでを目的としています。複雑化する現代のシステムを安定運用するために欠かせない概念です。
オブザーバビリティと混同されやすい概念に「モニタリング」があります。目的とアプローチが異なる両者の違いについて解説します。
モニタリングは、あらかじめ想定される「既知の問題」を監視するアプローチです。例えば、「サーバーのCPU使用率が90%を超えたらアラートを出す」といったように、事前に設定した閾値やルールに基づいて、システムの異常を検知します。
問題が発生したことを知らせてくれますが「なぜそうなったのか」という原因の特定はできません。問題発生後に調査を開始する、リアクティブ(受動的)な対応が中心となります。
一方のオブザーバビリティは、予期せぬ「未知の未知(unknown unknowns)」の問題にも対応できるアプローチです。
モニタリングが「何が起きているか」を知らせるのに対し、オブザーバビリティは、システムから多様なデータを収集・分析することで「どこで起きているのか」「なぜそれが起きているのか」を探り、根本原因を特定するための情報を提供します。
モニタリングはオブザーバビリティを実現するための一つの要素と言えるでしょう。
オブザーバビリティの重要性が高まっている背景には、近年のIT環境の劇的な変化があります。
かつてのモノリシックなシステムから、小さなサービスが連携する「マイクロサービス」へと移行が進み、システムアーキテクチャは大きく変化しました。
これらのサービスはコンテナ上で稼働し、動的に増減するため、システム全体の構成は非常に複雑で変化が激しくなりました。こうした分散環境では、従来のツールで個々の要素を監視するだけではシステム全体の動きを把握することが難しく、障害発生時の原因特定が極めて困難になっています。
開発チーム(Development)と運用チーム(Operations)が連携する「DevOps」の考え方が広まり、ソフトウェア開発のスピードは飛躍的に向上しました。
迅速なリリースサイクルを実現するためには、開発者が本番環境でのアプリケーションの挙動を深く理解し、問題発生時にも迅速に対応できる必要があります。オブザーバビリティは、開発と運用の両チームに透明性をもたらし、高速なリリースサイクルを支える助けとなります。
オブザーバビリティを高めるためには、システムの状態を多角的に理解することが必要です。その実現プロセスは、大きく分けて「データの収集」「データの分析」「データの可視化」の3つの要素から成り立ちます。
まず、システムの状態を把握するための元となるデータを収集します。オブザーバビリティの文脈では、特に以下の3種類のデータが重要視されています。
CPU使用率やメモリ使用量、レスポンスタイムといった、システムのパフォーマンスを定量的に示す数値データです。システムの健全性を大まかに把握するために用いられます。
システム内で発生したイベント(エラー、処理の開始・終了など)を時系列で記録したテキストデータです。具体的な事象の詳細な調査に不可欠となります。
1つのリクエストが複数のサービスやコンポーネントをどのように経由して処理され、各処理にどのくらいの時間がかかったかを追跡したデータです。どこがボトルネックになっているか、どこでエラーが発生したかを特定するのに役立ちます。
次に、収集したデータを分析します。オブザーバビリティの核心は、メトリクス、ログ、トレースを個別にではなく、相互に関連付けて分析する点にあります。
例えば、メトリクスでレスポンスタイムの悪化を検知し、関連するトレースデータでどのサービスの処理が遅延しているかを特定し、さらにそのサービスのログを確認してエラーの詳細な原因を調査する、といった流れで分析を行います。
こうしたアプローチにより、複雑な問題の根本原因を効率的に突き止められます。さらに近年は、AIや機械学習を活用してIT運用を自動化・効率化する「AIOps(Artificial Intelligence for IT Operations)」のアプローチも重要性を増しています。
分析した結果を、人間が直感的に理解できる形にします。収集・分析したデータをダッシュボード上のグラフやチャート、あるいはシステムの依存関係を示すマップなどで視覚的に表現することで、運用者はシステム全体の健全性をリアルタイムで把握し、異常の発生箇所を迅速に特定できます。
オブザーバビリティを確保することで、システムの安定運用はもちろん、開発プロセスの改善やビジネス価値の向上にもつながる数多くのメリットがもたらされます。
システム全体から収集された多様なデータにより、障害の根本原因を迅速に特定できます。複数のツールを切り替えたり、各サーバーにログインしてログを調査したりすることなく、少ない手間で問題解決までの時間を短縮できます。
システム全体の挙動がリアルタイムで可視化されるため、完全な障害に至る前の予兆を検知し、対処が可能になります。
これにより、システムのダウンタイムを最小限に抑え、サービスの信頼性と可用性を高められるだけでなく、これまで気づかなかった「未知の未知」の問題を発見することにもつながります。
システムの異常なアクセスや不審な挙動を早期に検知できます。これにより、DDoS攻撃の痕跡や内部不正の兆候をいち早く発見し、セキュリティインシデントを未然に防げます。
システムのパフォーマンスを最適な状態に保ち、障害を未然に防ぐことで、ユーザーは安定した快適なサービスを享受できます。パフォーマンスの低下やエラーといった問題をユーザーが体感する前に解決できるため、顧客満足度の向上に直接貢献します。
開発者と運用者が同じデータを基にシステムの状況を把握でき、チーム間の連携がスムーズになります。障害調査に費やす時間が減ることで、開発者はより価値の高い業務に集中できるようになり、チーム全体の生産性が向上します。
オブザーバビリティは、単一のツールを導入すればすぐに実現できるものではありません。技術的な基盤と、それを活用するための組織的な文化の両方が不可欠となります。
ログ、メトリクス、トレースといった多様なデータをシステム全体から収集し、それらを一元的に分析・可視化するための、オブザーバビリティプラットフォーム(支援ツール)の導入が第一歩となります。
支援ツールを選定する際は、自社のシステム環境(マルチクラウド、オンプレミスなど)に幅広く対応できること、既存のツールと連携できること、さらにチームにとっての使いやすさの観点が大切です。
強力なツールを導入しても、それを使いこなす文化がなければ効果は半減してしまいます。従来の縦割り意識をなくし、開発チームと運用チームが協力してシステムの品質向上に取り組む「DevOps文化」を醸成することが不可欠です。
また、オブザーバビリティは単なるツールではなく実践です。システム設計の段階から内部状態を観測しやすくするための「計装(Instrumentation)」を組み込むなど、オブザーバビリティを前提とした考え方を組織全体に浸透させる必要があります。
オブザーバビリティは、マイクロサービスやクラウドネイティブといった現代の複雑なIT環境において、システムの安定性と信頼性を維持するために不可欠な概念になりつつあります。
オブザーバビリティの実現には、適切なツールの導入だけでなく、チーム全体でシステムの透明性を高める文化づくりも重要です。まずは小規模なプロジェクトから始めて、徐々に適用範囲を広げていくと良い結果が得られるはずです。